「三無主義(無視・無節操・無駄)」、「誰もが行かぬから…」(著書『辺境で診る 辺境から見る』より)
三無主義(無思想・無節操・無駄) #中村哲
— abe marwarid(アーベ・マルワリード) (@abemarwarid) February 29, 2020
第一の「無思想」とは、特別な考えや立場、思想信条、理論にとらわれないことであり、自分だけ盛り上がる慈悲心や、万事を自分のものさしで裁断する論理は、我々の苦手とするところである。何も失うものが無い人々の天真爛漫な楽天性というのは確かにある。 pic.twitter.com/FTFUCJ9HTT
良心や徳と呼ばれるものでさえ、「その人の輝きではなく、もっと大きな、人間が共通に属する神聖な輝きである」という、ある神学者の説は頷けるものがある。これを自分の業績や所有とするところに倒錯があり、気づかぬ傲りや偽りを生ずるというのが私のささやかな確信の一つである。
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第二の「無節操」とは、誰からでも募金を取ることである。乞食から取ったこともある。一般にペシャワールの職業的乞食はわりあい堂々としており、「神は喜びます」と述べ、手を差しだす者もある。「人から施しを受けるにしては少し態度がデカいのではないか・・・(後略)」と問い糺したところ、
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ある乞食が案外まじめに説明してくれた。「あなたは神を信ずるムサルマーンではありませんな。ザカート(施し)というのは貧乏人に余り金を投げやるのではありませんぞ。貧者に恵みを与えるのは、神に対して徳を積むことです。その心を忘れてはザカートもありませぬ」。この乞食が高僧のような気がした
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「私も人に見捨てられたらいの患者のために、遥か東方から来て斯々然々の仕事をしておる。ならば私もムサルマーンで、これもザカートということになりはしないか」
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「そのとおり」
「ならば、あなたも我々の仕事に施しをなされ。神は喜ばれますぞ」ぬっと手を出すと、乞食は躊躇なく集めた小銭をくれた
私はまさかとは思ったが、つまらぬ議論に神を引き合いに出し、何か大切なものを冒涜したような気がして畏れを覚えた。以後、我々もこれを採用し、年金暮らしの人の千円も、大口寄付の数百万円も、等価のものとして一様に感謝してしただくことにしている。現地の人は心までは貧しくないのである。
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第三の「無駄」とは、後で「無駄なことをした」と失敗を素直に言えないところに成功も生まれないということである。いつも成功のニュースを届けて喜ばせるのが目的となっては本末転倒で、嬉しいことも辛いことも、成功も失敗も、共に泣き笑いを分かち合おうというのである。
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「誰もが行かぬから、我々がゆく。誰もしないから、我々がする」
— abe marwarid(アーベ・マルワリード) (@abemarwarid) March 1, 2020
この言葉は『#後世への最大遺物』(#内村鑑三)という著作の中で、メリー・ライオン女史の(女学校)創立精神を紹介した条である。この言葉だけは、まるでコタツの火種のように、心の奥から自分を暖める力となっているようだ。 #中村哲 pic.twitter.com/IhRhzG4o0g
同著の中で内村は述べる。
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「私たちの生かされたこの世界に、何かお礼を置いて逝きたいというのは清らかな欲望である。さて、何を遺すか。先ずカネがある。カネを卑しんではいけない。カネによって善い事業を起こせる。諸君、よろしくカネを作るべし。#内村鑑三 #中村哲
そこで、或る人々にはカネは作れないが、事業を遺すことができる。農業を興し、日本を緑あふれる楽園とせよ。だが、カネも事業も才能に恵まれなければ、文筆を以て精神を遺せる。今できぬ戦を将来に託せる」
— abe marwarid(アーベ・マルワリード) (@abemarwarid) March 1, 2020
こう説き及んだ末に、内村は結論する。#内村鑑三 #中村哲
「ではカネも、事業も、文筆も、いずれの才にも恵まれぬ場合はどうしたらよいのか。ここに誰にもできて、他の誰にも真似できぬ最大の遺物がある。それは、諸君の生き方そのものである。置かれた時と所で、諸君の生きた軌跡が人々の励ましや慰めとなることである」#内村鑑三 #中村哲
— abe marwarid(アーベ・マルワリード) (@abemarwarid) March 1, 2020
「不敬事件」で公職追放になった直後の内村は、同時代に「 #足尾鉱毒事件 」の犠牲者救済に一生を費やした #田中正造 と同様、時の不条理に挑戦して止まなかった。日本人の感性がまだはつらつと生きていた時代である。一世紀を経て、しかもペシャワールという異郷の人々にさえ、鮮やかな共感を呼ぶ。
— abe marwarid(アーベ・マルワリード) (@abemarwarid) March 1, 2020