「広報こがまち1997年9月号」
中村医師の特集が掲載された、「広報こがまち1997年9月号」のPDF化されたデータが下記のリンク先(古賀市HP)で入手できます。
— abe marwarid(アーベ・マルワリード) (@abemarwarid) April 19, 2020
しかも、中村医師の日本語とウルドゥー語?のサイン入りです!#古賀市 #中村哲https://t.co/jsPkMPihSC https://t.co/PTBT20NTFN
23年前も変わらず、考え方が一貫しており凄いです
— abe marwarid(アーベ・マルワリード) (@abemarwarid) March 6, 2020
1997年9月 広報こがまち
「人を助けることは自分を助けること」
古賀町で育った一人の医師が、ペシャワールに出会い、ハンセン病を中心とした医療活動を始めたのは15年前。
何が彼をペシャワールに駆り立てているのか。医師 #中村哲 を追う。 #古賀市 pic.twitter.com/krKrro3u35
登山を楽しむために訪れたペシャワール
— abe marwarid(アーベ・マルワリード) (@abemarwarid) March 6, 2020
「薬は遠征隊の為に残しておかなければならないので、処方箋を書き病院へ行くように言いますと『町でちゃんとした医療が受けられるのなら、わざわざ二日もかけて先生のところまでこない』という返事が返ってきまして」
その出会いから6年後、医療活動は始まった pic.twitter.com/N5lFrcAw70
『困った人を放っておいて、自分はのうのうと生きている。この不条理は何だろう?』そんな疑問が中村医師を医療活動へ導いた。「使命感なんていう大それたものを持っていた訳ではないんです。ただ困ってる人がいて、それを見ないふりして自分が楽をするというのは、どんなものかなと思っただけなんです pic.twitter.com/mD3BoTEIeh
— abe marwarid(アーベ・マルワリード) (@abemarwarid) March 6, 2020
「なぜペシャワールなのかということを、よく聞かれます。ほかにも救援を待っている国や地域があることも知っています。でも、餓えかかった我が子供を親が見捨てられないのと同じで、放り出すことはできません。目の前にあるものを、見ないということはできないんです。
— abe marwarid(アーベ・マルワリード) (@abemarwarid) March 6, 2020
一所懸命、目の前にあるものについて考える。今はそれだけしかできないんですよ。」そう言って笑う中村医師。
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「ペシャワールには愛憎も苦楽も悲しみも喜びも素直に表現できる、手ごたえのしっかりしとした人間がいます。そのことを幸せに思っています。」
「今、現地で人材育成に力を入れています。私がいなくなってもこの活動を持続していかなければ、今まで築き上げたものが無駄になってしまいますし、やはり、アフガン人によるアフガン人のための医療こそが必要だと思うのです。」
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『いなくなる』という仮説には、ご自身の死さえも含まれています。 pic.twitter.com/IXYVx5oEtw
■取材を終えて■
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こんな優しげな人がなぜペシャワールで活動を続けていられるのか不思議になりました。しかし取材を進めるうち、その優しさは他人に向けられたものであり、自分自身にはひどく厳しいということがわかってきました。他人に優しく、自分に厳しく。それを実行するのは難しいことです。 pic.twitter.com/MAcBWE8qbf
『なぜそんなことができるのですか?』という質問を中村医師に問うたのです。
— abe marwarid(アーベ・マルワリード) (@abemarwarid) March 6, 2020
中村医師はそんな私を否定しませんでした。人間にはいろいろなタイプの人間がいることを知っているからでしょう。その優しさ、自分の気持ちに率直に生きられる強さを目のあたりにして、自分の小ささを感じました。
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#古賀市 の広報誌(2月)「 #こがんと 」に、#中村哲 医師の追悼特集が4ページに亘り掲載されています。その中には、共に亡くなられた5名の名前も記載されています。(リンク先にPDFあり)https://t.co/FAy5kbTCL7 @kogacitywebさんから
— abe marwarid(アーベ・マルワリード) (@abemarwarid) February 22, 2020
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古賀の写真展で展示されていた同級生の友人宛てに中村医師が書かれた色紙です。どう見ても猫にしか見えませんが、犬のようです(笑)
— abe marwarid(アーベ・マルワリード) (@abemarwarid) March 6, 2020
小学3年生の頃、子犬を拾い、誰か飼ってもらえないかと友達に相談して回ったものの、引き取り手がおらず、ご自身で飼われていたという優しい思い出話をお聞きしました pic.twitter.com/MqEzvi2t9o
他にも、皆で風景のスケッチを描く際には、皆は青空や松林などを描いたそうですが、中村医師だけは古びて使われなくなった倉庫を描いたそうで、その頃から人とは物を見る視点が違っていたようです。
— abe marwarid(アーベ・マルワリード) (@abemarwarid) March 6, 2020
作文を書くときも皆が嫌がる中、中村医師だけが喜んで書き、その文章力も当時から凄かったとのこと。