病んでいた珍蝶の国 患者の治療に飛び込む 中村哲(1986年8月30日付 西日本新聞夕刊)
1986年8月30日付 西日本新聞の夕刊に掲載の記事
— abe marwarid(アーベ・マルワリード) (@abemarwarid) February 22, 2020
[クローズアップ]病んでいた珍蝶の国 患者の治療に飛び込む #中村哲https://t.co/nfV6Z1M032
以下、記事から引用させていただきます。
---------------------------------------------------------------------------------
❝ ◎パキスタンの辺境の町でハンセン病治療にあたる 中村哲さん(39)
小学生のころは、蝶のコレクションに夢中だった。蝶を野や山で追いかけているうちに、山が好きになった。8年前、福岡登高会の一員として、パキスタンとアフガニスタン国境にそびえるヒンズークシ山脈のティリチ・ミールに登山。「珍しい蝶がいる」と聞いて、子供の時からあこがれていた山である。だが、そこで見たものは山奥の石小屋に閉じ込められたハンセン病患者だった。
石小屋
集落を離れ山に入るにつれ、ポツン、ポツンと石造りの小屋。「あれは何か」と尋ねても、地元の人は口を開かない。やっと聞き出したのが「病人がいる」だった。(略)
パキスタンではハンセン病患者が見つかると、一家が村八分になる。そこで人目を避け石小屋に隠すのだ。「医者の一人として何かできないか」。蝶どころではなくなった。
(略)
専門はハンセン病ではなく神経内科。卒業後、佐賀県の国立肥前療養所で重度心身障害児を、あるいは大牟田労災病院では炭鉱事故による一酸化炭素中毒の後遺症患者を担当した。「行政や世論に忘れられたところで働きたい、みたいなところがあるんですかねえ」。自分で首をかしげて笑った。
ハンセン病治療と熱帯病の研修を受け、4年前からペシャワルに。まず、治療薬が現地語でどう言うか説明するのに苦労した。民族により言葉が英語、パシュトゥ語、ペルシャ語、ウルドゥ語と異なる。
(略)
サンダル
いま力を入れているのが患者用サンダルの製作だ。ハンセン病患者は、足の感覚がないため、悪い靴を履いてマメができてもそのまま放置。つぶれて細菌が入り敗血症などになる。防止するためスポンジ入りサンダルを作っている。「ほかの医者には”靴屋さん”って冷やかされる」という。
ペシャワル地方では、千人当たり5~6人がハンセン病患者。日本は全国で8千人。「もっと多いインドやネパールには海外の医療協力も厚いが”その次”のパキスタンが問題。私はペシャワルが好きだからやっているので、別に気高いことをしているわけじゃあないですよ。楽しいことですか。患者の病気がよくなっているのを見る時ですね」――柔和に笑っていた目に一瞬鋭い光が走った。(文=大西直人記者 写真=合原光徳記者)❞
----------------------------------------------------------------------------------
引用ここまで。
らい病の進行により末梢神経が侵され(知覚麻痺)、足裏にできた傷の悪化によって切断せざるを得ないケースや、敗血症を起こし落命する状態が見られた。それらを予防する為にサンダル工房を立ち上げ、バザールを駆け回って最良の材料を探し、試行錯誤を繰り返して作成し、足裏の保護に努めた。 #中村哲
— abe marwarid(アーベ・マルワリード) (@abemarwarid) February 24, 2020
2000年頃より急激に進行した大旱魃による影響で、清潔な水や食料の確保が困難になり、特に抵抗力の弱い子供たちが栄養失調状態で容易く感染症に罹り落命する状態が激増した。「飢えや渇きは薬では治せない」との実感から、井戸堀り、用水路建設を開始。地域雇用を生み、水源と食糧生産の安定に努めた。
— abe marwarid(アーベ・マルワリード) (@abemarwarid) February 24, 2020
いずれも共通するのは、目の前の状況を改善するために単に対処療法に留まらず、根源的な問題に着眼し、その問題の発生源と向き合い予防に努めるという点。そして実行し、失敗を繰り返しながら最善の結果を出す。35年以上に亘り、物事の本質的な部分を捉え、常に立場の弱い人を思いやり続けた実践の人。
— abe marwarid(アーベ・マルワリード) (@abemarwarid) February 24, 2020