2011年5月15日 九条の会・兵庫県医師の会・市民講演会「 中村哲 医師が語る」アフガンの大地から観る 明日の世界と日本
【講演録】
— abe marwarid(アーベ・マルワリード) (@abemarwarid) March 11, 2020
2011.5.15 九条の会 兵庫県医師の会 市民講演会
「 #中村哲 医師が語る」アフガンの大地から観る 明日の世界と日本
下記の「九条の会 兵庫県医師会、歯科医師、医学者の会」HPにPDFファイルありhttps://t.co/25PaBhdDwo pic.twitter.com/8Qr2dKjHY3
私たちの活動は一見、医療とは関係のないようなところに多大なエネルギーを費やしてきた。その最大のものが、現地のことをよく理解するということだ。日本もアフガニスタンも同じで、患者さんのことが良く分かって、気持ちが通じていないと良い診療はできない。だから、私たちが現地に行って、 pic.twitter.com/LQdFLZJxFj
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現地の人の風習がどんなに異様に映っても、それを善悪や優劣に分けて裁かないことを一つの鉄則としてきた。外国人が犯し易い過ちはこの点で、「こんなのは許せないよね」と言って地元の人達と衝突する。私が言いたいのは、「あなたは自分の思想が大事なのか。それとも患者が大事なのか」ということだ。
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(2000年)診療所にやってくる患者が次々と死んでいった。小さな子供の死亡者が多かった。水がなく、汚い生活排水を飲むので、赤痢などの腸管感染症に罹り易い。加えて背後に栄養失調があった。旱魃で食べ物が収穫できなければ慢性の栄養失調になる。そして、免疫が落ちるので簡単な病気で死んでしまう
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人間が生きていく上で必要なのは、清潔な水と安全で十分な食べ物だ。まず農業生産の復活。農村の復活こそ、アフガニスタンの再建のカギだということで灌漑事業を始めた。言うのは簡単だが、実際に行うのは非常に難しい。地表水を利用して農業を復興するために用水路建設を行うといっても、それは理想だ pic.twitter.com/Wra91DqhOF
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最初は、一体どうやって作ったらいいのか分からなかった。ダンプカーも中々手に入らない状態の中で、頼るのは人力だった。今でこそ、多くの重機を使って仕事ができるようになったが、初めのころに私は、恐らくこの用水路は、物のない状態の中で何百年も使われ続けなければならないと、真っ先に考えた。
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それで、地元の人たちが自分の手で、自分のできる範囲で、なるべく手作業で補修もできなければいけないということを念頭に置いて、手作りの水路を目指した。水門などの構造物の柱などにはコンクリートを使ったが、水路の大半は籠の中に石を詰めた蛇篭を使い、手作業で建設した。
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用水路の生命線は取水堰だ。自然と人工の接点がこの取水堰である。取水堰で堰上げると、当然水位が上がるから、洪水が起こりやすくなる。それを避けるために昔の人はどういう工夫をしたのか、私たちが参考にしたのは江戸時代に確立された日本の取水方法である斜め堰というスタイルだ。( #山田堰 )
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洪水に対しては、遊水池を設けている。危ないところには住まないというのが昔の人の考え方だ。日本人がかつて持っていた #治水 の考え方は、自然と喧嘩をせずに同居するという考え方だ。アフガニスタンの激し土石流や洪水に対しても、日本の知恵が行かされたのはそういうところだ。
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日本の斜め堰がなぜ活かされたのかと言えば、それなりの訳がある。農業生産を上げるには、水量を豊かに取らなければならない。しかし、水量を取り過ぎると、今度は洪水にやられるというギリギリの選択の中で、昔の人が知恵を絞って生み出したのが斜め堰だ。
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( #山田堰 #斜め堰 #中村哲 ) pic.twitter.com/WQHZw2a3Jb
そうはいっても人間のすることはたかが知れている。いくら基準値だと言っても、自然は人間に話しかけてはくれない。水は喋ってくれない。こっちから推測する以外にない。しかも、自然は絶対に嘘をつかない。悪人と善人を区別しない。善い人でも、悪い人でも、同じようにたいらげてしまうのが自然である
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堤防の水位を決めるに当たって、昔の人々の話から過去の洪水を参考にして、100年に一度の洪水に耐えられるように設計していたつもりが、それを易々と越えてしまう大洪水が昨年発生した。私達が考える基準値は当てにならなかった。人間自身の合意でもって自然に対処することはできないというのが結論だ
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この斜め堰の技術、この設計思想が大幅に生かされて、とにかく危ない所に人は住まない。大事なものは危ない所に作らない。自然には逆らわない。暴れるときは犠牲をできるだけ少なくして、人間はそれに耐えるべきだ。力ずくで自然と対決してはいけない。この設計思想がアフガンで大きな力を発揮している
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この27年間、いつも考え続けてきたのは、私たちは貧しい人を助けるとか簡単に言うけれど、助けられる貧しい人々の方が明るいのはなぜなのか。日本からアフガニスタンの為に何かをしないといけないと思い駆けつける若者の方が暗い顔をしておる。
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人間は何をもって惨めとするのか。そして、人間としてこれは最後まで手放してはいけないものは何か。無くてもいいものは何かということについて、一つのヒントを得たような気がする。(#中村哲)
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