手縫いの革小物の作品の紹介から、気まぐれで野菜栽培の記録、
異文化で生活する人々の記録写真や猫のことなども綴ります

はじめに ~ 故・中村哲医師への敬意を込めて ~

 

 2019年12月4日、アフガニスタンにて逝去されました、中村哲医師をはじめ、運転手を務めていたザイヌッラーさん、セキュリティガードを務めていた司令官のマンドゥーザイさん、サイド・ラヒームさん、ジュマ・グルさん、アブドゥル・クドゥースさん

皆さまの御霊が安らかに憩われますよう、心よりお祈りいたします。

 

 中村医師の活動は、講演会、著書、新聞や雑誌に掲載される執筆文を通して、2003年頃より活動の様子を拝見しておりました。4か月以上が過ぎた今も、とても言葉では言い表せない思いと同時に、容易く中村医師のことを語れるような言葉も持ち合わせてはおりません。

 

 この事件を機に中村医師のことを知った方や、これから知ることになる方、長年支援を続けてこられた方々、そしてこれかも関心を持ち続けようとされる方など、様々おられることと思います。しかし、いつの世でも、話題性のある時にばかり皆が関心を寄せますが、その多くは、日々の生活に埋もれて記憶から薄れていってしまうものと思います。

  今、アフガニスタンで起きている問題は、決して他人事ではなく、近い将来の日本でも起こりうることとして、日本の社会を憂い、その郷土と人々を想い、「人と人、自然と人との和解」という問いを、静かに、そして懸命に伝え続けておられました。

 

 この欲望に溢れた現代において、遠く離れた過酷な環境の地に赴き、実践の人、約束の人として、宗教、人種、あらゆる立場を超えてアフガニスタンパキスタンの人々と共に歩まれました。その生き様と、多くの実績から語られる言葉には、私たちだけではなく、おそらく後世の人々にとっても、大きな励ましと希望を与えてくれるものがあるのではないかと感じています。

  

 36年以上にも亘る活動に深い敬意を込めて、これまで発せられた言葉を記録しておきたいと思い、2月からツイッターでの投稿を始めました。ただ、ツイッターでは古い投稿が埋もれていってしまうので、改めてブログへ残していきたいと思います。

この記録は、まず自分自身への「問いかけ」としての意味合いが強いのですが、中村哲医師に関する記事や著書、執筆文、講演会や記録映像の中で語られた「言葉」を、ツイッターでの投稿を元に掲載していきます。

このような場所で投稿を続けたところで、何の意味も無いかもしれません。それでも、僅かであっても目に留めた誰かの心の支えや励ましとなることがあれば、とも思います。

 

ここまで目を通して頂き、ありがとうございます。  

今後掲載させていただく投稿にも、目を通して頂けましたら幸いです。 

 

 最後に、2003年10月の西日本新聞に掲載された記事、「不易と流行―アフガンから 「復興」世界がだまされた 医師・ペシャワール会現地代表 中村哲氏|【西日本新聞ニュース】」より、一部引用させていただきます。

 

 世の関心は移ろいやすい。空爆に続き、二〇〇二年春、明るい「アフガン復興」の話題で日本中が沸いていた。だが今、予測はしていたものの、その後アフガニスタンがどうなったか、実情を知る日本人は意外に少ない。(略)

 

 アフガン問題は、平和や戦争の問題だけではなく、全人類的な課題を秘めていると述べても誇張ではない。現地のことわざに「カネがなくとも食ってゆけるが、雪がなくては生きられない」という。アフガン人の九割以上が農民・遊牧民で、アフガニスタンの豊かさの源泉は、ヒンズークッシュ山脈の高山の雪である。夏の雪解け水で、二千万人の国民が農業の営みを続けることができた。だが今、この白雪が初夏までに鉄砲水として消え、旱魃被害を大きなものにしている。この現象が数年続けば、広大な地域が砂漠化し、数百万人が生存空間を失うのは必至である。これが世界的な都市化と工業化による地球温暖化現象によるものだとすれば、そら恐ろしい話である。

 

 この背後には、自然との関わりの本源的な倒錯、そしてその倒錯を欺く都合のよい論理が、私たちの意識の根底にあるからだ。例えば、経済成長と環境問題は同居できない矛と盾である。環境が論ぜられ、生態系への配慮が叫ばれる。そして、危機感が募るだけ、現実の危機が増すという奇妙な世界に私たちは生きている。そこで語られる「自然」とは、しばしば虚像であり、森羅万象さえ操作できるという科学技術への過信がある。かくて人権や自由と民主主義という「自明の大義」さえ、時代の共有する迷信の一部であると気づくのは困難でなくなった。私たちはとんでもない時代に生きているのだ。

 

 過去にも閉塞の時代はあった。その都度、人間は安易な処方箋を信じて自壊への道をたどったのである。永遠かつ絶対なるものは人の言葉や思想にはない。今より百年後、私たちが過去を壊したり、賛美したりしたのと同じように、現在が裁かれる時がくるだろう。しかし、時を超え、場所を超え、変わらぬものは変わらないだろう。美しいものは美しく、神聖なものは神聖であり続けるだろう。幸不幸も同様である。

 

 私たちの思想や思考もまた、錆びてしまった。だが、自省のない暴力や経済への信仰が力を持つのは恐ろしい。破局は既に始まっている。心ある若者たちの健全な感性を尊重したい。「後世畏るべし」「新しい酒は新しい皮袋に入れよ」―これは二千年前の賢人たちの言葉である。

引用ここまで。

 

以下、中村医師に関する記事のリンクです。