手縫いの革小物を中心に、自家採種の野菜栽培の記録なども綴ります。
気まぐれで異文化の記録写真や猫さんも。

ペシャワールでの日常など

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この写真は、2005年頃のペシャワール中心街のサダルバザールにある総菜屋さんです。

ラマダーンと呼ばれる断食明け前の時間帯で、夕ご飯の御遣いを任された男どもの群れで非常に賑わっていました。

この頃はまだ表立って治安の悪さは感じられず、休日には一人でよく散策をしていました。

 

タンガと呼ばれる馬車や、リキシャ(自動三輪)に乗り、八百屋さんやケーキ屋さん、お肉屋さん、映画館、現地ではモダンなスーパー(日本の普通のスーパーと似たものですが、現地では富裕層向け)などへ行き来していました。

散歩がてらに露店のサモサ屋さん、カバブ屋さんに立ち寄っては、ちょっとした御馳走に至福を感じる日々でした。

油と香辛料たっぷりの料理を食べた後に飲むペプシもまた最高でした。

(日本で飲んでもそれほど美味しいと感じないですが)

 

盛夏になれば、カラチから運ばれてくる完熟マンゴーと、アフガンとの国境を越えてやってくるハルブザ、ハタケイと呼ばれる10㎏前後の重さのあるメロンなど、毎日のように食べていた時間もまた幸せなひと時でした。

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アフガニスタンの国境に隣するペシャワールには、パシュトゥン民族が多数を占めており、その中にはアフガン難民と呼ばれる人たちも多く生活していました。

たぶん「難民」という言葉からは、単純に「生活が切迫している」、「貧しい」というイメージを抱く人が多いのではないかと思います。

 

ですが、現地で見る限り、難民と呼ばれている人々がみな困窮した状態に置かれているというわけではなく、親族や友人の協力を得て開業する人や、職を手にして経済的に厳しいながらも普通の日常を送っている人達も多くいます。

中には商売が上手く行き、一財産を築いている人もいます。

その一方、物乞いなどをして日々生きることがやっとの人や、様々な圧力により難民キャンプと呼ばれる居住区を強制退去させられ、行き場をなくした人々が数多くいるのも現実です。

しかしこれらの現実は不思議と日本で伝えらることはありません。

(伝えられるのは、その背景などはお構いなしに「テロ組織」や「武装勢力」という括りにした人々の暴力沙汰の報道ばかりです)

 

彼らの社会では、地縁血縁を何よりも重んじるため、親族を汚された場合には命を懸けた一大事に発展することも少なくありません。

普段の温厚さからは想像がつきませんが、勇猛果敢で血の気の多さも特徴的で、一度揉め始めると手が付けられなくなることもあります。

そのため、互いに敵を作らないように心がけており、暗黙のルールのようなものがしばしば見受けられます。

ちょっとした揉め事の場合は、火種が大きくなる前に(グーパンチが出る前に)周囲の人達が宥めにはいり、双方のメンツを潰さぬよう言葉巧みに火種を治めるなど、老獪な一面も見られます。

 

しかし普段は皆、礼儀正しく気さくな人柄で、朝昼晩とほぼ必ず緑茶を啜っては、とてつもなくクダラナイ冗談を延々と飛ばし合っていたりもします。

また、皆総じてシャイでありながらも目立ちたがり屋のカッコつけたがり屋で、良くも悪くも楽天的な人々に感じます。

もちろん、私が日本人であること、仕事上の利害関係などもあり、親切に接してくれているところもあるんですけど。

異教徒であり異文化の国の私たちには決して見せることのない裏の顔や、その反面、外国人であるからこそ見せてくれる本音の部分など、非常に人間臭い姿も印象的です。

 

残念なことに、2007~2008頃には治安が急激に悪化していき、地元の人達ですら外出を控える程だったようです。

ペシャワールから出て行かざるをえない人達も多くいたと聞きました。

 

そんなことも相まって、昨今、一方的な負の印象を与えるニュースが多く、個人的には見ていてもどかしさを感じることも少なくありません。

あんまり難しい話は抜きにして、彼の地で生活する人々の日常の様子などを、のんびりと載せていきたいと思います。

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