うちの猫の一周忌
今日は愛猫ジジ(♀)の一周忌です。
東京の実家で、完全室内飼いの環境で16年間生きてくれました。(写真は10歳頃)
死因ははっきりとは分からないのですが、状況から見て腎不全ではないかとのことでした。
死の約1年前になりますが、2015年のお盆頃、口内炎が原因と思われる食欲不振、脱水症状を起こし、発見が遅れたため腎臓への負担を大きくしたことで寿命を縮めてしまったのだと思います。
タラレバを言っても仕方ないですが、このとき自分が側に居たならばと、未だに後悔は尽きません。
急変を聞いた後、ちょうどお盆前の時期だったこともあり、早めに休暇をもらい急いで東京へ戻った時には、5㎏あった体重が2㎏前後まで落ちていました。
痩せ細った身体を見て最悪の事態も覚悟しました。
これまでも3~4ヵ月に一度は東京に戻ることが出来ていましたが、そのたびに私の顔など忘れたかのような振る舞いをされていたのに、この時だけは玄関を開けて目が合うや否や、か細い声で必死に呼びかけてくる様子を見て、ちゃんと覚えてくれているんだな、と感じました。
この時、自力では食べ物を口にすることができず、病院での栄養剤の注射を背中に注入(ラクダのコブのように)してもらうことで乗り切りました。
少し回復してきた頃には、ふやかしたカリカリを手の平に乗せて口元に近づけることで、ようやく食べてくれるようになりました。
病院での治療と併せ一週間ほど付き添いで看病を続けた甲斐もあり、体重は2㎏後半まで戻り、ひとまず危険な状態からは回復していきました。
これまで大きな怪我や病気を経験してこなかったため、20歳くらいまでは元気に生きてくれるだろうと漠然と思っていましたが、この時初めて猫の「最後のとき」を意識したと思います。
それでも少しでも長く生きてほしいと思い、同じような状況を経験された人のブログを幾重にも訪問しては回復のためのヒントを探したり、それと同時に、死と向き合うための気持ちの準備のために本を買って読んでみるなどして、徐々に状況を受け入れていきました。
休暇を終えて福岡へ戻った後も、母の献身的な看病のおかげで順調に回復していきました。
しかし病院での定期的な検査のための通院は続き、あっちが良くなるとこっちが悪くなり、こっちが悪くなるとあっちが良くなる、というような検査数値が繰り返されたようです。
食べ物も腎臓や肝臓への負担を抑えたものに切り替えたのはもちろんですが、薬も毎日欠かさず飲む生活が続きました。
猫にとっても相当なストレスだっただろうと思います。
病院へ連れていく際には専用の籠に入ってもらって運ぶのですが、この頃には籠の置いてある方に向かうだけで病院に連行されると思い込み、「この世の終わり」のような表情と声で鳴き出すので、いつも心苦しかったです。
病院でのお泊りの時も、過度のストレスからか毎回下痢を引き起こしていると医者から言われました。
そういった状況もあり、あるとき母から、「体調も良くなっているし、ストレスを与えてまで頻繁に通院をするのもよくないんじゃない?」との相談があり、インターネットでの情報も調べつつ、同意しました。
その後、通院は控え薬だけを受け取りに行ってくれていました。
同時に検査もしなくなったため詳細な状態はわかりませんでしたが、食欲は普通にあり、見た目の体調は良好だったようです。
しかし、死の2~3日前から食欲が減り、前の晩にはお漏らしをしていたようで、それを歳のせいと捉え、異変とは思わなかったようです。
その翌朝、母が仕事へ行く前にか細い声で何度も呼びかけていたようですが、しぶしぶ仕事へ向かい、母が仕事から戻った時には既に息が無く死後硬直が進んでいたとのことでした。
父親の時も同じでしたが、重病から回復し、一見復調したかのように見えていた為、心のどこかで「もう大丈夫だろう」と安心してしまう安易さがありました。
次は同じことを繰り返すまいと、その時には思うのですが、いつも後悔ばかりで成長しないものです。
猫や父が夢にひょっこりと現れるときには、最後に側に居られなかったことや、感謝を伝えたいと思っているのですが、いつも何故か言葉に出せずに終わります。
先日も猫が現れ、目が合うや否やステップを踏みながら「にゃ~にゃ~にゃ~♪」と言って嬉しそうに私にすり寄ってきましたが、どうにも夢の中では死んだという認識が乏しくなるようです。
どこかで居なくなったことを理解している感覚はあるんですが。
父は未だに亡くなった当時の姿(年齢)のまま出てくるので、自分が父の年齢に追いついたときどんな風に感じるのだろうとちょっと不思議な感じです。
まぁ、自分の夢の中で伝えたところで自分が満足するだけなんですが、どちらの時も突然の別れだったためか、言葉にできたなら、もう少し前向きに死を捉えられるのかなと。
終わりよければ云々ではないですが、最後の別れ方や、その相手との残された時間の過ごし方は本当に大切だと思います。
時は遡って、ジジを拾ってきたのは、私の21歳の誕生日の1日前だったと思います。
あるとき家の側を走る都電の線路の上で蹲っている子猫を見かけ、「そんなところに居たら危ないじゃないか」と思い側によってみると、身体はガリガリに痩せ細り、両目は目ヤニで塞がっている状態でした。
ひとまず線路から離れた場所へ移動させ、母猫が戻ってくるのを期待して遠目に様子を見ていると、しばらくして何故かまた自分から線路の方へ戻っていきました。
その時は自分が猫を飼うという考えは全く頭になかったものの、その状況を見てみぬふりも出来ないので、とりあえず漫画で見た知識を呼び起こし、急いで牛乳と猫まんま(鰹節ご飯)を用意して与えてみました。
牛乳は僅かに舐めていたと思いますが、猫まんまは全く口にしませんでした。
このままでは体力が落ちて死んでしまうのが目に見えていたので、せめて目の治療だけでもして、その後里親になってくれる人を探そうと思い病院へ連れて行きました。
早速、病院で診断を受けたところ、目はどこまで回復するか分からないが、目の状態から母猫が育児を諦めたのだろうとのことでした。
この時、生後2週間前後とのことでしたが、通常は母猫が子猫の目ヤニを舐めて取り除いてあげるようです。
それから何度か通院を繰り返し、完治するまでの治療費は3万円を超えたと記憶しています。
当時はかなりの痛手でしたが、その甲斐もあって院長さん自身も驚く回復ぶりだったようで、ガリガリだった身体も程よくふっくらし、両目ともしっかりと見開くまで回復してくれました。
ただ、片目にだけ少し白い濁りと、瞬膜が完全に開ききらない状態が残りました。
それでも日常生活には問題のない状態でした。
そして、いざ里親になってくれる人を探そうとなったとき、院長さんにも言われましたが、怪我や病気を患っている場合は飼手が現れ難いとのことでした。
そういった理由もあってか、結局のところ治療を終えた後も里親になってくれそうな人は見つからず、その間、うちで一緒に過ごしているうちになんだか愛着も沸いてきたため、家族同意のもと、家で飼うことになりました。
それまでは大の猫嫌いだった母も見違えるように可愛がるようになり、父も小言を言いながらもよく面倒を見てくれていました。
この頃のジジは、ウンチをした後に何故かその辺の布地でシレ~っとお尻を擦り付けて拭く癖があり、父はその度に「まったく、しょうがね~なぁ・・・(ふきふき)」と苦笑いしながらも、きちんと拭いてあげてくれて、とても微笑ましかったです(笑)
「ジジ」という名前は、私が一番好きなジブリ作品「魔女の宅急便」から取ったものですが、うちの子は黒猫でもなく、オス猫でもありません。
そのため、うちのジジを初めて見る人からは大抵突っ込まれることになりました(笑)
思い起こすと、私が小さいころには「ホワッツマイケル」や「みかん絵日記」、「うちのタマ知りませんか」を見て育ったはずですが、このときは何故か「ジジ」一択だったと記憶しています。(今見返すとタマが一番似ていますね。)
しかしうちの母にはこの名前が大不評で、「ジジ」を「じじい(=おじいちゃん)」と勘違いしてか、「こんな名前を付けられて可哀そうにねぇ・・・」とボヤキ、誤解を解くため説明をするも聞く耳を持たず、最後まで頑なに別の名前を名付けて呼でいました(笑)
自分で飼ってみて猫の世界観についていろいろ学びましたが、猫ってやつは、こちらからスキンシップを図ろうとすると、「近寄んなっ(怒)」「勝手に触るなぼけ!(怒×2)」「暑苦しいわ!(怒MAX)」みたいな感じで、最後は大抵、猫キックが飛んできます。
そのくせ、自分が構ってほしいときに限っては、つぶらな瞳を携えてヨソヨソと側へ近寄り、「ごはんっ!」「撫でろ^^」「遊んで ^o^/」「腕枕っ!(怒)」という感じに可愛らしく振る舞いやがります。
言われるがまま、猫都合で遊んであげてるのにもかかわらず、飽きが来ると突然「猫パンチ」を繰り出され血がぴゅーぴゅー吹いたりします。
今となっては良い思い出ですが、初めてローンを組んで買ったIBMのノートパソコンに全力タックルされて壊されたこともありました(涙)。
お気に入りの洋服も噛み千切られて数着ゴミ箱行きになったことも(笑)。
夜更かしをしている時など、添い寝を要求するサインを繰り返し送ってくることがあるのですが、それをしばらく無視していると、私の枕を占拠してヨダレ垂らしながら爆睡してしまうという嫌がらせもよくありました(悲)。
あと、猫相手にボクシングの反射神経を磨く特訓(ジャブの打ち合い)をしたこともありましたが、強かったです(笑)。
こんな自分勝手で唯我独尊的な、この世はすべて私のモノみたいな面構えと態度をしているところが途轍もなく可愛くて好きなんですが、そんな子でも人の感情をしっかり察知して、利他的な?行動をする姿も時折みられました。
ある時、私と母で口喧嘩をしていると、ソワソワしながら近寄ってきては私と母の間に立ち、二人の顔を見上げて「にゃおぉ~~・・・、にゃおぉぉ~ぉ~~・・・・」と、いつもとは明らかに違う声色で鳴き始めたことがありました。
最初は、会話に混ざりたいのかな?と思いましたが、表情や態度、鳴き声から察するに、どうやら必死に喧嘩の仲裁をしているように見えました。
そんな姿を見ていたら思わず笑ってしまい、お互いの言い合いなんかどうでもよくなり、猫になだめられる形で仲直りをした思い出があります。
結果的には自分(猫)のためになるのかもしれませんが、本能のままに利己的な行動をするばかりではないんだなぁと、ちょっと関心した場面でした。
いろいろ思い起こすと、私と母、私と父、それに母と父との間をさりげなく繋いでくれたことが何度もあったなぁと感じます。
当人はそんなつもりはないのでしょうけど。
1歳前後の小さいときには、壁からひょこんとこちらを覗き込んでは、目が合うとサッと隠れるのが好きで、よく二人(一人と一匹)で隠れんぼをみたいなことをしてました(笑)
面白いことに、この頃は人間の動きを真似する場面もよくみられました。
落ちているビニール袋や丸まっている新聞紙に突撃するのも大好きで、いつも一人で何かと戦っていました(笑)
そしていつも母と一緒に居たためか、母が移動すると、どこでもどこもまでも後を着いていく姿もかわいかったです。(笑)
(私の後には着いてこないんですけど。。。)
さらに、母が家に帰ってくる時間が体内時計にセットされているのか、到着する10分前くらいになると自然と玄関前に行き、じっと行儀よく座って帰りを待っていました。
(私が帰ってくるときには待っていてくれないんですけど。。。)
想像するに、ジジの頭の中は↓こんな感じだったんだろうなと思います。
母(親代わり or 大親友)> 猫(この世の中心) > 私(下僕 or 都合の良い男)
まぁ、思い出は尽きませんし、写真を見るとまだまだ悲しくなるので見ないようにしていますが、一緒に過ごした時間はとても幸せな時間でした。
最後まで私に対しては反抗期MAXでしたが、家族であり、子供のような友達のような良き猫でした。
約16年間、ずっと側で世話をしてくれた母親にも感謝。
ありがとうございました。
そして、こんな私的な長文思い出記事を最後まで読んでくださった方も、ありがとうございました。
またいつの日か、縁を辿って猫と一緒に暮らしたいと思います。